2013年03月18日
基地の街
嘉手納町(かでなちょう)は基地の街と言っていいかもしれません。
戦後は88%が米具基地に占められていて、一部返還されてもいまだに83%が米軍基地となっています。
昭和25年の朝鮮戦争以来拡大していった米軍基地の施設内には、9000人以上の家族が生活しています。
軍関係者の居住区には、司令部や兵舎のほかにも住宅や病院や学校があります。
野球場やゴルフ場などのスポーツ施設や、映画館やボーリング場のようなアミューズメント施設もあります。
カミサリーでは何でも買うことができるしとても便利ですが、ナイトクラブ系は基地の外にしかありません。
2006年にはラムズフェルド長官が基地の写真マップを見て「危険だ」と言った話がある程住宅密集地域に基地はあります。
そんな町の17%の区域に14000人の町民が押し込められていると言う現実もあるのです。
戦後は88%が米具基地に占められていて、一部返還されてもいまだに83%が米軍基地となっています。
昭和25年の朝鮮戦争以来拡大していった米軍基地の施設内には、9000人以上の家族が生活しています。
軍関係者の居住区には、司令部や兵舎のほかにも住宅や病院や学校があります。
野球場やゴルフ場などのスポーツ施設や、映画館やボーリング場のようなアミューズメント施設もあります。
カミサリーでは何でも買うことができるしとても便利ですが、ナイトクラブ系は基地の外にしかありません。
2006年にはラムズフェルド長官が基地の写真マップを見て「危険だ」と言った話がある程住宅密集地域に基地はあります。
そんな町の17%の区域に14000人の町民が押し込められていると言う現実もあるのです。
Posted by 浅井由菜
at 12:34
│沖縄地名話