残場岬の灯台

浅井由菜

2013年03月11日 15:25

読谷村(よみたんそん)は全国で2番目に人口の多い村です。
戦前まで読谷山村(ゆんたんざむら)といってましたが、戦後「よみたんそん」という呼び名になりました。
今でも村内には米軍基地が2箇所あって村全体の36%の面積を占めています。
この地域の読み方が難しくて、沖縄の人でも読めない時があります。
伊良皆(いらみな)、渡慶次(とけし)、比謝矼(ひじゃばし)、牧原(まきばる)など沖縄風の名前がたくさんついています。
その中には有名になった残波岬(ざんばみさき)もあります。
昭和20年4月1日、岬の先の灯台を目印に米軍は沖縄上陸作戦を開始します。
上陸前には、灯台の南側にある読谷村海岸に爆弾の雨を降らせます。
日本軍は当初持久戦を行う予定でしたが予想以上の攻撃に住民を残して退却します。
この残場岬が有名なのは戦争で犠牲になった人達や軍の集団自決を強要されて亡くなった人達の悲惨な歴史の上にあるのです。
沖縄にはもうこれ以上、基地や軍備はいりません

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